悩みが尽きないときの現実的な対処法

2023年9月23日

悩みについて考えない

私たちは、数独やゲームのレベル上げ、そのほか様々なものを通じて、「とりあえず手や頭を動かしておけば状況が好転する」ということに慣れすぎています。その結果、悩みに対しても時間をかけて考えれば解決すると考えがちです。

しかし、精神的な悩みに対しては、悩みぬくことが必ずしも良い結果をもたらすとは限りません。

 

書いたり話したりせず、ただ頭を動かして悩むという行動は、悩みに対して効果がありそうに見えて、実際は何の意味もないことです。

なぜなら、何かに対して悩んでいるとき、すでに起こったことに対する後悔や、将来起こるかもしれないであろうことに対する不安を募らせるだけで、「なぜそのようにネガティブに考えてしまうのか」という悩みの根本的な原因に、意識を向けられていないからです。

 

悩みの本質に意識を向けずに、今現在抱いているマイナスの感情をいくら募らせても、それが悩みの解決につながることはありません。

なので、悩みが解決しない時の第一歩は悩みについて考えないことです。


例えば、嫌な事や腹立たしいことがあった時に、何時間もそれを引きずってしまい、落ち着かない…というような経験が、誰しも一度くらいはあると思います。

そういったときには、その悩みのことを、複雑で容易に解決できないものだと考えてしまいがちですが、実際にその悩みを事実と感情に分けて紙に記してみると、おそらく数分で読み終える程度の非常に簡単なものになることがほとんどでしょう。

多くの場合、事実はほんの数行で済み、それ以上書くことがなくなるのに対し、感情によって歪曲されたり、増幅された憶測などは無限に湧いてくるのではないでしょうか。

例:最近仕事が上手くいっていなくて憂鬱だ

(事実)最近仕事が上手くいっていない

(感情)学生時代の成績が悪かったし、自分は何をやってもダメだ、社会に必要とされてない etc.

要するに、何かに悩んでいる時、文字に起こすとほんの数行程度の情報量しかない僅かなことが原因でしかないのに、脳がそのことに対して必要以上に思考を巡らせ、時には全く無関係の過去の出来事を結びつけたりしているわけです。

つまり、悩みに対して考えることは、精神状態を悪化させることにほかならなりません。


悩んだ時にあれこれと考えてしまいますが、結局重要なのは脳を稼働させて悩みについて考え抜くことではありません。

不要な情報を持ち込んだり、結びつけたりして自らを精神的に疲弊させてしまう脳を、一刻も早く正常な状態に戻すことが最重要なわけです。

悩む前に生活に意識を向ける

悩みの深刻さは、自分の今置かれている状況によって変化します。

例えば、待ち合わせの時間を間違えて、友達に「お前はダメな奴だな」と冗談交じりに言われる状況を想像してみてください。これが、朝起きれなくて自信を無くしている状況で言われるのと、規則正しく生活できていて何の問題もないときに言われるのでは、前者の方が心にきますよね。


 

悩みが消えなくて困っているときに、共通することがあります。

それは、起きてすぐに太陽の光を浴びる・適度な運動をする・十分な睡眠をとる…このうちどれかが欠けているということです。

職場で人格否定をされるなど多大なストレスがかかっている場合は、この限りではありませんが、漠然と気分がすぐれないというときは大体上記のどれかが欠けていることが悩む原因になっていると思います。

毎月の収支が赤字だったりすることなく滞りなく生活できているのに、何か悩みがあるという場合においては、心身の不調が、それと直接関係のない悩みを誘発しているにすぎません。

なので、朝に太陽の日差しを浴びること・適度な運動をすること・十分な睡眠をとること、のいずれかが上手くできていない場合は、自分が今抱えている悩みに対して、真剣に向き合うことを一旦辞めてしまうのが望ましいです。

過去の辛い出来事を思い出さない

昔、新聞の人生相談を読んでいて、いいなと思った言葉があります。

それが「過去の辛い経験を思い出すのは、決まって今が上手くいっていない時だ」というものです。

学生時代に納得のいく時間を過ごせなかったとしても、今が上手くいっていれば、それを思いかえして憂鬱になることもない。

今が上手くいっていないからこそ、過去の記憶を持ち出して悲観的になっていると、寄せられた人生相談に対して回答者は分析していました。


 

つまり、過去の記憶に対して、どういった意味を持たせるのかは今の自分次第というわけです。

学生時代に成績が悪かったり、爪弾きにされたりした過去を思い出して、昔から自分はダメな奴だと思うときがあっても、それは多くの場合、昼夜逆転して孤独にスマホを眺める時だったり、今抱えている仕事が進まず不甲斐なさを感じている時だったり、今現在に問題を抱えているときです。

こういったときに過去の出来事を思い出して憂鬱になっても、何も好転しません。なぜなら今抱えている悩みの原因が取り除かれないからです。


だから、昔の嫌な記憶に苛まれるときは、まず今現在なにか思い通りになっていないことはないだろうかと考えます。

そして、それに見当が付いたら「ああ、また脳が無関係の過去を持ち出そうとしているな」と俯瞰的に見るようにし、今抱えている問題が解決するまで、過去の出来事について考えるのを止めます。

これで、多くの場合、不必要に自虐的になることは避けられると思います。過去の出来事を記憶から消せなくても、過去の出来事を思い出して受ける精神的な悪影響を減らすことはできます。

杞憂を止める

くり返しになりますが、不健康な状態で物事を考えると、不要で精神を蝕む考えが生まれます。そして、その最たるものが”杞憂”だと私は思います。

 

新聞の人生相談を読んでいると、子育てを終えた主婦や、定年を迎えた高齢者が、「自分の生きる意味が分かりません」と質問するケースを多く見かけますが、世間的に見たら「無事に子供を育てたり、定年まで勤めあげたりして、今に不自由していないならそれでいいのでは?一体なんの不満が…」と思ってしまいます。

これは完全に憶測ですが、こういった人生相談をする人って、時間を持て余していて、その余った時間を使って、忙しい人が考えもしないような差し迫っていない事象について、不必要に悩んでいるだけなのではないかと思います。

自分の生きる意味が分からないという悩みだって、人生最期の日に、誰かの口から「あなたの人生は無価値でした」と言い放たれることはないのだから、気にせず過ごせば済む話です。


なので、それと同じように、自分自身が「もしこうなったらどうしよう」といった類の悩みを抱いた場合は、実際にそのことが起きるまで考えないようにするのが一番だと思います。

もちろん、差し迫った問題は解決した方がいいですが、実際にそうなったからと言って直ちに死に直結しない悩み(例えば、会社をクビになったり、誰かに嫌われたりしたらどうしようといったもの)に関しては、考えないことが一番の解決方法だと思います。

自分の悩みを、他人の悩みと同じくらい冷めた目で見る

人は自分の悩みには必要以上に深刻に考えますが、他人の悩みに対しては無関心です。

ほとんどの人は、自分が「会社をクビになったらどうしよう」と悩む時には真剣に向き合っても、他人が同じことで悩んでいたら「クビになってから考えれば」と楽観的に返すと思います。

一見後者の助言は冷たく映りますが、それくらいの温度感・距離感が本来は正しいわけです。なので、それと同じ言葉を自分自身に対して投げかけるのが適切です。

杞憂は、人に話すと忘れにくくなる上、相手の記憶にも残ってしまうので、差し迫っていない段階で人に相談しない(あるいは心底信頼できる人にだけ話す)のも大事です。

まとめ

悩みというのは、多くの場合、心身の不調が原因で、何気ないことを過大に受けとめてしまい、それに直接関係のない過去の出来事や感情を結び付けていった結果、複雑で解決が困難になったものだと思います。

なので、ひとまず生活習慣を改善し、それでも依然解決しないものにだけ意識を向け、具体的な行動を伴って解決していけばと良いと思います。

まとめ

  • 考えれば正しい解決ができると思わない
  • 悩む前に生活に問題がないか確かめる
  • 悩みの原因は不健康な精神状態×杞憂

雑記

Posted by ken