絵が上手くなりたいなら、絵が上手くなりたいという気持ちを捨てたほうがよい理由

2020年5月29日

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もっと絵が上手かったら、いくらでも好きな物を描くのに…

そう思う方は、多いのではないだろうか。

かくいう僕も、絵を描きはじめた二年前にはそう思っていた。
しかし、二年たってみると、当初の想定とは真逆のことが起きたのだ。

「絵が描けなくなった」 のだ。

以前は毎日描けていたのに、ある日を境にそれができなくなった。以前より絵が上手くなっているのにもかかわらず、だ。

そこで、今回は僕の経験を基に「絵が上手くなりたいと思ったら、かえって絵が描けなくなる」現象を僕なりに分析してみた。

あくまで個人的な体験に基づくものなので、万人にあてはまるとは限らないが、あなたが自分を見つめる際の参考になれば幸いだ。

他の趣味を抑えることで伝えたいことがなくなる

絵を描くことの一番の目的を「絵が上手くなること」と設定した場合、ストイックな人の場合だとゲームやテレビを見る時間を減らし、その時間を絵の練習に当てるといった行動に出てしまうのではないかと思う。

だが、ここで一度考えてほしいことがある。この場合、果たして本当に「趣味の時間をすべて削らなければ画力の向上は望めない」のだろうか。

一旦、分かりやすい別の話に置き換えて考えてみよう。

僕の大学受験時代、僕の母親は「お前の成績が悪いから心配で遊びにも行けない」とよく僕に愚痴をこぼしていた。「自分の人生はお前によって台無しにされている」とでも言わんばかりだった。

しかし、僕はこの理屈は間違っていると思う。なぜなら、親が家にいようがいまいが僕が勉強するかどうかは変わらないからだ。

つまり、あえて棘のある言い方をすれば、この場合は「母親は自分は楽しんではいけないという風に自分に鎖を巻いていた」ことになる。

この例を通して僕の主張を整理すると「作業時間を確保することと、楽しいことを封印する」のは違うということだ。

もちろん、ゲームに一日数時間のめりこんでしまうといった場合は別だが、 絵が上手くなるために必ずしも楽しいことを封印する必要はない。

どうせ、ずっと絵を集中して描くのは不可能なのだから、たまには外に出て見たり、新作のゲームをやったりしても問題はないはずだ。

昔の僕は、その点を間違って解釈していたので、新作のゲームが出ても買わなかった。そしてその結果、そこで浮いた時間を全て絵の練習に回せたのかというと、そうでもなかった。

それどころか、自分の心が動かされる体験が減ったせいで、表現したい事や絵を描く意欲が薄れていった。

なので、これから絵が上手くなりたいと思っている人は 「依存する対象は断っても、楽しむ機会は断たない」ように心がけてほしい。

「不幸自慢」の危険性

上のような行動をしていると、「自分は絵を描くために楽しみを封印しているのだから報われて当然だ。そして、この苦労は他の奴にはどうせ分かってもらえない。自分は悲劇の主人公だ。」というような考えが浮かんでくる。

しかし、こういった考えをしていると、いつまでも心が晴れることはない。

『嫌われる勇気』という本では、このような不幸自慢する人のことを「こうした人たちは、不幸であることによって「特別」であろうとし、不幸であるという一点において人の上に立とうとします」という風に紹介している。

僕は、『嫌われる勇気』を読むまでこの感情に支配されていた。

みなさんも、自分の劣等感に耐えられなくなったからといって、このような考えに陥ってしまわないよう是非気を付けてほしい。

失敗を恐れるせいで筆が重くなる

絵が上手くなりたいと思う気持ちが強すぎると、絵の題材を決めるときに「それを描いていて楽しいかどうか」ではなく、「それを描くことが自分の画力向上につながるのかどうか」といった視点を持ってしまうようになる。

これは、決して悪い視点ではないのだが、度が過ぎると「失敗を恐れるせいで筆が重くなる」という現象を引き起こしてしまう。

絵というのは、たくさんあるアイデアの中から「実際に描くもの」を選び取って描くことが多いはずだ。

このときに、「画力向上につながるかどうか」で描くものを考えてしまうと、ときには、自分の好きなものより自分の画力向上につながりそうなものを優先して描くことになる。

そうすると、「画力の向上に貢献しない題材は描くだけ無駄」ということになり、「時間を無駄にしないように題材を選ばなければならない」という一種の強迫観念に襲われることになる。

実際に、僕が絵を描かなくなり始めたのは、絵をある程度描けるようになりはじめ、技術面について深く考えるようになってからだった。

画力の向上を考えながら絵を描くことが決して悪いことだとは思わない。しかし、 それが原因で絵が描けなくなるくらいなら、多少効率が落ちても、描きたいものを描き続ける方がよっぽどいい。

絵が上手くなるまで目標が達成されない

僕は「絵が上手くなるまで頑張る」と目標を立てたとき、「絵が上手いとはどのような状態を指すのか」については全く考えていなかった。

その結果、心理的に出口の迷路を彷徨うような状態になってしまい、途中で力尽きてしまった。

僕がその状態について考えるときに、参考にした記事がある。

この記事の中では、以下のように書かれている。

強制収容所での生活などはまさに「いつかは終わるが、具体的にいつ終わるか見極められない困難」といえます。ヴィクトール・フランクル氏はかような状態を「無期限の暫定的状態」と定義しました。

(中略)

かような無期限の暫定的状態に人は滅法弱く、目的をもって生きることがひどく困難になると著者は言います。

記事を読んだとき、「絵が上手くなってやる」と思っているときの状態は、まさしくこれではないかと思った。

「絵が上手くなりたい」と思っている状態は「描き続ければいつかは絵が上手くなるが、いつになったら絵が上手くなるのか分からない」点で上の状態にあてはまる。

そして、「自分はまだ絵が上手くない」と思っている心理状態のまま絵を描き続けていくと、いつかは自分の無力感に苛まれ、挫折してしまう。

上で紹介した記事では、こういった状態に対する方法も書かれている。
それを絵が上手くなりたい状態にあてはめて考えてみると、対処法は以下の二つだ。

1.絵が上手くなるまでの道のりを具体的に考える

これは、以下のことを考える方法だ。

  • 何をもって絵が上手くなった(目標が達成された)とするか
  • 目標達成までに日々何をすればよいのか

絵が上手くなることだけを念頭において絵を描くことはつらい。
しかし、3カ月で終わらせる、といった風に明確に決めて取り組むなら検討してみる価値はあると思う。

ちなみに僕の経験上、 この方法をとった時に成功するかどうかの最大のカギは「目標を区切って考えるかどうか」が握ると思う。

例えば、未経験の状態からゲーム業界の就職を目標にする場合だと、はじめから就職を目標にするのはおすすめできない。このように、最終目標をはじめに立ててしまうと、目標を達成することが、聳え立った崖を登っていくかのように不可能なことに感じられ、精神的に折れてしまう可能性が高いからだ。

一方で、「3カ月で全身を描けるようにする」「そこから三か月で背景を描けるようにする」といった風に目標を細かく決めると、自分の成長をその都度感じられることが自信につながるし、初めから最終目標を考えて行動しなくて済む(はじめから完璧を目指さずにすむ)ことが行動や習慣化のハードルを下げることにつながる。

2.絵を描いているときを楽しむ

これが一番シンプルだが、一番難しい方法だ。特に、自己肯定感が低い人ほど。

本来、多くの人にとって絵を描きはじめた理由というのは「ほかでもない自分の手で、自分の見たい状況を表現したい」といった前向きなものが多いはずだ。

しかし、いつの間にか他者の絵と自分の絵を技術面や評価面で比較してしまい、それが原因で絵が嫌いになってしまうといったケースも多いのではないだろうか。

昔は僕も「楽しんでいるだけじゃ上手くならない」と考え、絵が上手くなっていない人を心のどこかで見下していた。しかし、最近になって「楽しんでいるだけじゃ上手くならないけど、楽しまないと上手くなれないよな」という風に考えるようになった。

絵が上手く描けなくて悩んでいる人ほど、 のらない筆を動かして絵を描こうとするのではなく、一度気持ちをリセットして自分が絵を描く原動力を見つめ直す時間をとってみても良いのではないだろうか。

まとめ:心にゆとりを持とう

絵を描くうえで知っておくべき知識はあるものの、上手い絵の定義や描きたい対象に絶対的な答えはないと思っている。

自分が上手いと感じる絵や描きたいと思う情景は、人によって異なる主観的な物で、その答えは多くの場合、自分が触れてきた作品や自分の心の奥底に眠っている。

だからこそ、 自分の心にゆとりを持ち、自分の内面を見つめられるようにしておくことが絵を描く活力を維持するうえで最も大切なことではないだろうか。

僕はこの記事を描くことで、僕が絵を描けなくなった理由を整理できたし、その対処法を見つけ出すことができた。

もし、あなたが絵が描けなくて悩んでいるのならば、僕と同じように自分の考えを整理してみてほしい。そうすれば、少しずつではあるが、前向きに進めるようになるはずだ。

絵の考察

Posted by ken